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新潟地方裁判所 昭和62年(タ)28号 判決

原告 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 樋口正昭

被告 A・B・C

右訴訟代理人弁護士 石田浩輔

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一  原告訴訟代理人は「原告と被告とを離婚する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、請求の原因として以下のとおり述べた。

1  原告は昭和二四年(一九四九年)三月三一日に出生し、日本国の国籍を有する女性であり、被告は昭和二五年(一九五〇年)五月一〇日に出生し、フィリピン共和国の国籍を有する男性であるところ、両者は昭和五一年(一九七六年)に新潟市において知り合い、昭和五二年(一九七七年)一月一一日にフィリピン共和国において同国法の定める方式に従って婚姻をした。その後両者は日本とフィリピンを数度往来し、現在は日本に居住しているが、昭和六二年(一九八七年)八月二〇日以降は別居中である。なお、両者間に子はない。

2  原告・被告間の婚姻関係は、以下に述べるとおり破綻している。

(一)  被告は弟妹と共に楽団(バンド)を結成していたが、フィリピン共和国では仕事が無く、日本その他の外国で短期間働いて収入を得る生活であるが、被告の収入だけで夫婦の生活を維持することはできない。原告がフィリピンで適当な職を得ることもその国籍の関係等により不可能であるから、原告はやむを得ずしばしば日本へ帰って旅館の手伝いや飲食店の皿洗い等の仕事をし、得られた収入を生活費に充てるという状態であった。

(二)  被告は日本においても大した収入を上げることができず(現在月収約一〇万円)、原告に対する扶養義務の履行は不可能である。

(三)  被告はしつこい性格で、原告の職場へ用もないのに何度も電話を架けてきたり(そのため原告は周囲から興味本位の目で見られ、雇主の注意を受けた。)、原告が外出する際に付きまとって行動を監視し、さらには知人との間の電話をひそかに録音したりする。また原告を殴打したこともある。さらに被告はフィリピンで大麻を吸引したことがあり、それを原告に目撃されたにも拘わらず、そのような事実はないと言い張っている。このようなことから、原告は被告を夫として尊敬しようとする心の絆が根底から断ち切られる思いの毎日であった。

(四)  原告・被告夫婦はフィリピンでは被告の母及び弟妹と同居していたが、彼らはプライヴァシーに余り関心がなく、夫婦の寝室に勝手に入り込んだりすることが度々あった。

(五)  原告・被告夫婦の住んだフィリピン共和国マニラ市シンガロング地区は住宅環境が劣悪であり、平均的日本人として育った原告にはとても生活できる所ではない。また同地区の共通語ともいうべきタガログ語の出来ない原告は所詮よそ者として扱われ、現地社会に馴むことができなかった。

(六)  原告・被告夫婦が日本に永住することは被告の旅券の関係上不可能であり、フィリピン人である被告が日本に帰化することも建前はともかく実際上は極めて困難であるから、離婚しない限りいずれフィリピンへ戻るしかない。しかるにフィリピンには現在戦争・内乱勃発の現実的危険があり、近い将来これが解消される見込みはなく、経済も破綻し、街には失業者が溢れている。

(七)  以上のような事情から、原告は被告との婚姻継続の意思を失った。

(八)  国際的婚姻は政治的・経済的・文化的背景の異なる国々で生まれ育ち、いわば異文化を背負った個人の結合であるから、その破綻を考える場合にも、両者の政治的・経済的・文化的な相違に起因する様々な障害が一方当事者に克服し難い著しい苦痛を強いる結果とならないかという観点からも判断されるべきであり、婚姻生活を営む場所としての当該外国及び社会において婚姻の継続を期待することが一方当事者にとって極めて苛酷であると考えられる特段の状況があるときは、たとえその状況が他方当事者の責めに帰すべからざる事由によって生じたものであっても、その状況により一方当事者が婚姻継続の意思を喪失してしまっている以上、婚姻関係は既に破綻していると言うべきである。

(九)  仮に本件離婚請求が時期尚早であるとして認められないとすると、被告が将来フィリピンへ帰った後(必ずそうなることは(六)に述べたとおりである。)、日本に留まった原告が後日改めて離婚請求訴訟を提起しても、その時にフィリピンで戦争でも起きていようものなら訴状の送達そのものが不可能になる恐れもあるのであるから、原告は実質的に離婚裁判を受ける権利を奪われることになりかねない。また裁判所が本件離婚請求を認めないとすれば、原告に対し、戦争の現実的危険が極めて大きくかつ経済的に破綻してしまっているフィリピンでの生活を国家が強制することになるのであって、これは原告の幸福追求権を害し人道上も許されないことである。

(一〇)  一般にフィリピン人男性が日本人女性との婚姻を望み、離婚を拒絶するのには特別の理由がある。即ちフィリピン人は元々民族的に音楽的興味が高いところ、フィリピンではその種の職を得ることができないから、彼らはやむを得ず外国に音楽関係の仕事を求めるが、その際選ばれるのは、比較的報酬が良く、かつそれほど能力が高くなくてもやっていける日本なのである。しかし日本に来るためには通常はプロダクションを通す必要があって利益の一部が差引かれるし、在留期間も短期間しか認められない。ところが日本人女性の夫という地位を確保すれば、プロダクションを通さずに日本へ来ることができ、在留期間の延長も容易となり、フィリピンでは得られないような高額の収入を確実に得ることができるのである。勿論このような実情はフィリピン人の責任ではないけれども、国際結婚の理想とは無縁であることもまた明らかである。

(一一)  以上のとおり原告・被告間の婚姻関係は破綻しており、そのことについて原告に責任はない。

3  ところで、離婚の準拠法は夫である被告の本国法によるべきところ(法例一六条)、フィリピン共和国法では離婚は認められていない。しかしながら2に述べた事情の下において、原告の離婚請求を認めないことは国際私法上の公序に反するから、本件については法例三〇条によりフィリピン共和国法の適用を排除し、日本法を適用すべきである。しかして右2の事実は同時に日本民法七七〇条一項五号の「婚姻を継続し難い重大な事由」に該当するから、原告は被告との離婚を求める。

二  被告訴訟代理人は主文と同旨の判決を求め、請求の原因に対する認否及び反論として以下のとおり述べた。

1  請求の原因1の事実は認める。

2  同2のうち、被告の収入が十分でないこと、原告を一回殴打したことは認めるが、その余は否認しもしくは争う。被告が原告を殴打したのは昭和六二年(一九八七年)五月ころのことであり、そのとき被告は二人の問題を真剣に話していたのに原告がこれを聞こうとしなかったため、頬を平手で一回打ったのである。

3  同3は争う。

4(一)  被告は弟妹と共に楽団(バンド)を結成し、演奏活動をしていたが、フィリピン(マニラ)では良い仕事がなかったので外国で職を得てその収入から原告宛て送金していた。送金額は毎月約三五〇アメリカドルで、これをフィリピンの通貨に換算すると約六〇〇〇ペソに当たる。マニラにおける生活費は夫婦で一か月約一二〇〇ペソであるから、生活は決して苦しいものではなかった。

(二)  マニラにおける夫婦の住居は、被告の母の所有する三戸に分離された二階建建物のうちの一戸であり、プライヴァシーが侵されるような環境ではなかった。

(三)  原告はマニラと日本を行ったり来たりの落ち着かない生活をしていたが、昭和五九年(一九八四年)八月に日本に帰った後、そのままマニラへ戻らなくなった。そこで被告は、原告との婚姻生活を続けて行くためには日本へ行って働くしかないと考え、楽団(バンド)を解散し、昭和六一年(一九八六年)一月から日本で生活を始めた。ところが原告はしばしば外泊をし、被告が事情を尋ねても返事をしないのが常であったので、調査したところ、昭和六二年(一九八七年)五月、原告の外泊先はオツヤマハルオなる男性方であることが判明した。原告が被告に対して執拗に離婚を迫るようになったのはこのころからである。

(四)  被告は現在新潟市内のレストランでピアノ演奏者として働いており、原告が日本で暮らすことを望むなら自分も日本で暮らしてよいと考えている。

(五)  被告はいまでも原告を愛しているが、原告はかたくなに被告との共同生活を拒んでいる。

5  右に述べた事情に照らすと、原告・被告間の婚姻関係は、基本的には原告が考えを変えない限りその修復が困難となっているものと言わざるを得ない。しかしこのことについて専ら又は主として責任を負わなければならないのは原告である。従って本件離婚請求を認めないことが日本国の公序に反するとは到底考えることができない。

仮に百歩譲って本件につき日本法が適用されるとしても、本件は有責配偶者からの離婚請求である。勿論有責配偶者からの離婚請求であってもその一事をもって許されないとすることはできない。しかしながら本件では、第一に、原告・被告間の別居は未だ長期間に及んでいるとは言えない。第二に、被告はカトリック教徒であるが、カトリックは離婚を禁止しており、フィリピン法も離婚の規定を設けていないから、本件離婚が認められると原告はその目的を達することができるけれども、フィリピン国籍を有する被告は終生妻帯者として扱われ再婚できないという苛酷な状態に置かれることになり、その被る社会的・精神的打撃は計り知れない。このような結果は著しく社会正義に反するものである。

三  《証拠関係省略》

理由

一  《証拠省略》によれば、請求の原因1の事実を認めることができる。

二  ところで、本件離婚の準拠法は夫である被告の本国法たるフィリピン共和国法によるべきところ(法例一六条)、同国法は離婚に関する規定を欠き、離婚は一切許されないものと解される。しかしながら、仮に原告・被告間の婚姻関係が完全に破綻し、復元の可能性がないなどの事情が認められるのになおフィリピン共和国法を適用して離婚を認めないとすることは日本国における公の秩序、善良の風俗に反するから、そのような場合には法例三〇条によりフィリピン共和国法の適用を排除し、日本法を適用すべきものと解される。

そこで、右の事情が認められるか否かについて請求の原因2の事実を検討するに、以下に述べるとおり、フィリピン共和国法の適用を排除すると共に日本民法七七〇条一項五号に該当する事実を認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

1  請求の原因2(一)(二)について

仮に夫の収入だけでは生活できないとしても、十分な収入を上げることが可能であるにも拘わらず故意に怠けて家族の生活を危機に陥れている等の事情がない限り(本件ではそのような事情を認めるに足りる証拠はない。)、収入の不足を理由に離婚を請求することは許されない(夫は必ず家族全員の生活を支えるに足りる収入を得なければならず、収入が不十分な場合には離婚請求を甘受しなければならないと解することは到底できない。なお日本民法上、夫婦間の扶養義務は相互に存するのであって、夫のみが負うものではない。)。

2  同(三)について

《証拠省略》によれば、被告が原告を殴打したのはわずか一回であることが認められ、その余の事実については、原告自身、被告が原告の職場に電話したのは三回程度であると供述し、知人との間の電話をひそかに録音したこと及び大麻を吸引したことについてもそれぞれ一回と供述している。また原告が外出する際にしつこく付きまとって行動を監視するとの点は、抽象的な表現であり、具体的にどのような行為があったのか判然としない。そうすると、これらの事実は原告主張どおりであったとしてもいずれもさほど重大・深刻なものとは言えず、しかもこれらのことを解決するための真剣な努力がされた形跡もないのであるから、未だ婚姻関係の破綻とその回復不能がもたらされたと認めることはできない。

3  同(四)について

仮にそのような事実が存在したとしても、それ自体婚姻生活の継続を困難ならしめる程重大なものではないし、原告・被告夫婦が被告の母及び弟妹と同居することは婚姻を継続するための絶対の条件ではない。

4  同(五)ないし(八)について

フィリピンで暮らすのが不都合ないし不安だと考えるのならば、日本に住むことも可能であり、《証拠省略》によれば被告は日本に住む意思を有する事実が認められるし、《証拠省略》によれば被告は原告の夫である限り日本に半永久的に在留できる事実が認められるのであって、原告がフィリピンに住むより被告が日本に住む方が格段に困難であることを認めるに足りる証拠はない。また離婚請求訴訟の原告のみが婚姻継続の意思を失ったからといって、そのことが直ちに離婚原因になるものでないことは言うまでもない。

原告の主張は要するに、夫と妻の国籍が異なる場合において、いずれかの属する国が政治・経済等の面において極めて悲惨な状態にあるときは、他方の配偶者は単に婚姻継続の意思を失ったというだけの理由により離婚を求めることができるということに帰するのであり、そうだとすると仮にフィリピンが原告の主張するとおり極度に悲惨な状態であるとすれば、フィリピン人と婚姻した日本人からの離婚請求訴訟はすべて認容すべきことになってしまうのであって、このような解釈を採りえないことは明らかである。

5  同(九)について

本件離婚請求を棄却したからといって原告から将来離婚裁判を受ける権利を実質上奪う結果となる恐れがあることを認めるに足りる証拠は全くない。また原告にフィリピンでの生活を強制する結果となるものでないことは4に述べたとおりである。

6  同(一〇)について

仮にそのような事実が存在したとしても離婚原因とはなり得ない。

三  以上の事実及び判断によれば、原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する次第である。

(裁判長裁判官 吉崎直彌 裁判官 村上正敏 裁判官三代川三千代は転補のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 吉崎直彌)

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